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創造をしたい人も「性バカ説」で動くのか

 
 
 「性バカ説」の「より考えない方に向かおうとする性質」ってエントロピー
増大則みたいに、放置すればただひたすら最大化に向かってはたらくんだろうと
私は考えているのですが。
 だとすると、それを局所的にエントロピー減少を発生させるべくはたらく外部
からの力に当たるのは、強い意欲のもとに行われる創造・発明とか、そのための
思索とかでしょうか。

 人に「性バカ説」の話をしてみると、こうした創造とか、創造したい意欲とか、
そういう話によくなります。

――人はバカに向かうばっかりみたいなこと言ってるけど、いろいろ生み出し
ていきたいとも思ってる人もたくさんいるし、実際に生み出してるし、それで
『言って来い』でバランス取れてるんじゃないの?
――ということです。

 喫緊の大きな(またはたくさんの)「課題」が無くても、こういう力によって
バカ化は防がれているんじゃないのか/そういう人もいるだろうと。

 たしかに、そういう何か作り出そうとするパワーや、そのために注がれる努力
などそれ自体は、「性バカ説」的なバカに向かう力に逆らってはたらく、バカに
なるまいとする力(エントロピーを減少させる力)だといえると思います。

 でも、そういう意欲を持っていれば人はバカには向かわないのか、というと、
そうでもないだろうと思うのです。
 差し引きで考えれば、それだけではやっぱりトータルとしてバカに向かうん
じゃないのか、と感じています。
 個人の中のこととして考えても、ヒト全体として考えても。

 

個人の中のこととして考えてみると:

 何か新しいものを創造しよう、発明しようと意欲を高くしている人は、
それに取り組んでいる時 たしかに試行錯誤を繰り返して、苦労にも立ち向かっ
て、たくさんアタマを使うでしょう。
 そうして「課題」(必要から、というより作り出した「課題」ですが)に
向きあっている分には、バカ化の余地など無いように思えます。

 ですが そういう人も、むしろその「課題」にのめり込んでいればいるほど、
それ以外の事柄に関しては「よりアタマを/手間を/時間を 使いたくない」
という方向に強く意識が向かっているものではないでしょうか。
 そしてやっぱり、「取り組みたい課題」以外の日常的な雑事やらについては
世の便利さを可能な限り享受して、より考えない方に向かおうとするでしょう。
 となると、そうした人のバカ化がどれほど進んでいくかは、その人が取り組む
「課題」にどれほど注力しているかによるでしょうか。ちょっと油断すれば、
トータルではやっぱり世のバカ化に寄与していそうな気もします。

 

ヒト全体で考えてみると:

 ヒト全体で見ると、誰かがどこかで新たな創造・発明をすると、やがてそれ
が広がり、多くの人が あらためてそれを創造・発明する苦労をすることなく、
その恩恵を享受できるようになります。その創造・発明が生み出すものが、
前よりも手間をかけず/アタマを使わず得られるようになるということです。
 つまり、誰かがアタマを使って何かを新たに作れば作るほど、そしてそれが
広く伝播すればするほど(その伝播する力というものもまた、誰かの創造・
発明が積み重なって拡大してきました)、ヒト全体はアタマを使わずに済む
ことが増えていく。
 こうしたことをたとえば「便利」「効率化」と言ったりして、知恵のもたらす
美徳のひとつとされていますが、「便利」「効率化」ってまさに「性バカ説」
そのものだなあと思うのです。

 一方には 人の思考・思索を促す創造/創造物というものもありますが、
そうしたものは多くがエンターテイメントという位置に置かれて「実際的な
もの/こと」とは別に扱われちゃったりしますね。