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あまりアタマを使わなくていい世の中でカッコイイとされること

 
 
 有無をいわさず襲ってきて自分らの生存を脅かすような ヤバい「課題」が
少なくなってきて、あまりアタマを使わなくてもいい世の中になってきてる
今の日本。
 そういう変化があると、それに合わせて人の考える「良いこと/悪いこと」
=価値観も変化してくると思います。

 かつて堺屋太一は『知価革命』の中で言いました(1985年の本だから、もう
30年ほど前になりますか)。
「豊かなものをたくさん使うことは格好良く、不足しているものを大切にする
ことは美しいと感じる、人間のやさしい情知」
 これが優しさなのか情知なのかは分かりませんが、なるようになるべく動く
人間の習性としてはすごく分かる気がするし、いつどんな時代・状況でも
適合する法則として使えそうです。

 これを「性バカ説」的に、
   かつての「避けられない課題が次々押し寄せる世の中」と、
   今の「課題を避けようと思えばけっこう避けられる世の中」と
――に当て嵌めて較べてみると、どうなるでしょう。

 
●避けられない課題が次々押し寄せる世の中

   豊か → アタマを使って押し寄せる課題に対処する機会

   不足 → 課題に追い立てられない楽な時間

 
●課題を避けようと思えばけっこう避けられる世の中

   豊か → あまり考えなくても得られる課題解決力/便利

   不足 → アタマを使うべき/使いたくなるような命題

 
 こんな感じでしょうか。

 前者なら、
「数多ふりかかる課題に敢然と立ち向かって次々とクリアし、
 わずかな間隙でしっかり休息をとってリフレッシュする」
 みたいなカッコイイ像が描けるような気がします。

 
 一方 より現在の状況に近いと思われる後者なら。

 「命題が不足」してるとはいえ、緊急性が高くてマジ危険な課題はイヤで
しょうし、大切にしたい(大切に取り組みたい?)とも思わないでしょう。
それに、他者が共感しやすい命題でないと、他者がカッコイイと思うことも
ないと考えられます。
 そのあたりも踏まえつつ上記の形に「豊かものはジャブジャブ使い、貴重な
ものを大事に」を当て嵌めると、

「自分に課す課題を自分で選んで(自分さがしとか生き甲斐とか?)
 日常の多くをそこに注力し、それ以外のことにはめいっぱい便利さを
 享受して楽にこなす」

 という風に、いわば「自分をデザインする」ことに成功して見える人が
カッコイイとか、人生うまくやってるみたいに映る感じでしょうか。
「課題を選べる余裕と、選ぶ眼力」があることが羨まれる、といったところ?

 けっこう、現状に合致してる気がしますが、いかがでしょう。

 
 暮らしを奴隷に支えられていた社会でのソクラテスの「善く生きる」追究
なんかも、要はこういうようなことかもしれませんね。